【経済的自由】貧乏スタートでも資産に稼がせることで実現は可能

経済的自由を目指す理由

経済的自由になりたいのは、時間の使い方を自分で決めたいから。

”毎日あくせく働きたくない” みたいなゲスな理由ではありません。

仕事はむしろウェルカムなので、一生働くつもりです。

ただ、嫌いな人と長い時間ご一緒するのはムリだから、できれば仕事は選びたい。

一方で、続けていきたい仕事が、必ずしも十分に稼げるとは限らない。

仕事を選択する自由は、経済的な裏づけがないと成立しないのです。

経済的自由であれば、人生で選べるカードが増えて、時間のリモコンを持つことができる。

そんな風になりたいんです。

給料をもらう立場では自由になれない

では、どうやって願いを叶えればよいのか。

まず思いついたのは、お金を稼ぐこと。

たくさん稼ぐ→豊かになる→自由な生活を送れる

小学生にも劣る、幼稚園レベルの思いこみでした。

金を稼ぎたいなら人がやりたがらない仕事をやりゃいいんだよ。

シッタカぶって言う人がいますが、そんな人は絶対に自分ではやりません。

実際にやってみると、ちゃんと稼げることが判明しました。

しかし、年収1000万円を超えようが全く自由にはなれないことも同時に判明。

会社から給料をもらってる立場だと、いくら稼いだところで、辞めてしまえばお金の流れは止まるからです。

次はフランチャイズビジネスに挑戦

”自分の力で稼げるようになれば自由になれるんじゃないの?”

考え方がまだ幼稚園のバラ組です。

東京で起業して会社を経営する横山やすし似の兄。

僕にはやっさんの姿が、まばゆすぎたのかもしれません。

しかし、素人が唐突に始めるビジネスを、世の中が求めてるはずはないことは精神性が幼稚園児でもはわかってました。

そこで目をつけたのはフランチャイズビジネスです。

後先を考える前に、サービス系のフランチャイズに加盟してしまいました。

開業準備は決められた通りのことをやればよく、時間のムダがなく加盟して数ヶ月後にはお店をオープン。

3日間煮込んで作る料理をレンジ3分で食べられるようなスピード感です。

収入は固定客がいる店の権利を買ったことで、1年目で生活が成り立つレベルに到達したまではよかったのですが、1つ大きな難点がありました。

それは、休みが全くないこと。

大晦日まで働き、正月の2日間を除いて年中フル稼働です。。。

チャンスを逃し事業を伸ばしきれない

ビジネスの成長に必要なのはヒト・モノ・カネ、そして『メンタル』です。

それを思い知らされたのが、事業を拡大する絶好のチャンスが訪れた時。

願ったり叶ったりの大口契約の打診で、発注に対応できれば売上倍増です。

しかし、美味しいことばかりではありませんでした。

大口発注に対応するには設備投資費用が発生します。

これが半端ない額で、借金の激増は避けれらない。

さらに、

日々やるべき仕事+新たに雇用するスタッフの教育=仕事の特盛

となる。

オープン以来、ずっと休みなく働いていて、ヒマがあれば寝ていたい状態。

これ以上の負荷はキャパ超え確実で、発注をこなす前に倒れてしまう可能性があります。

身体を壊せば路頭に迷うので、残念ではありましたが、メジャーオファーは断念しました。

交通事故を起こして死と向きあう

それからしばらくしてからのこと。

仕事中に重大事故発生しました。

配達用の軽自動車に乗って細道から大通りに出た瞬間、横から大型セダンが突っ込んで来たのです。

見通しは決して悪くない、カーブミラー付き交差点。

ところが、至近距離に迫っていたデッカイ車が全く目に入りませんでした。

過労で頭の中が宇宙空間状態だったのだと思います。

ドガーーーンっ!!

デカイ車が突っ込んだのは運転席のすぐ後ろ。

衝突のタイミングがちょっとでもズレていたら享年38歳となっていたところでした。

病院に搬送される救急車の中。

救命士の方にも「あの事故でよく生きてたね」と感心されたのが忘れられません。。。

フランチャイズビジネスを売却する

その後、連鎖反応のように配達スタッフが交通事故を起こしてしまいます。

幸い、怪我はありませんでしたが、これは不吉なお告げに違いないと感じました。

”事故でスタッフが後遺症を負ったり、死んだりしたら償いきれないな”

自分が大事故を起こしてから間もないタイミングだったので、眠れないほど考えこみました。

朝4時に起きて休まず一緒に働いてくれた妻にはずっと無理をさせています。

このままでは経済的自由どころか、経済的奴隷になり下がる。

ビジネスの売却を決めたのはそれから間もなくのことでした。

傷心旅行で不動産を買うことに

一心不乱に働いてきた反動で、仕事を辞めた後は無気力ニート状態に陥りました。

”ニュージーランドに戻ろうかな”

しかし、ヤル気ゼロでは現地でやりたい仕事も思いつきません。

ただ、現地に自分とNZをつなぐ何かが欲しい。

旅行で訪れたニュージーランドで買ったのが最初の不動産です。

場所はオークランドのノースショアでした。

初めてNZへ来た時にホームステイしたのがグレンフィールドというエリア。

『この辺はいい場所なんだけど、そんなに高くないんだよ』

ホストファーザーの言葉を思い出しました。

34万ドルで買ったのは、グレンフィールドの小さな2ベットルームユニットです。

必要な手直しをしたのち、すぐにテナント募集をするとまもなく入居者が決まりました。

その後、毎月家賃が振り込まれるようになり、これが経済的自由へのチケットになるかもしれない、と思うようになりました。

そう感じた矢先、この家を売らないかと不動産エージェントから話があります。

聞けば、オークランドの不動産マーケットがすごく熱くなっていているとのこと。

物件売却→軍資金増額→物件買い増し→経済的自由

頭の中で、家の売却経由経済的自由行きのルートができたので、オークションにかけることにしました。

最初の不動産を売って勝負に出る

当時の不動産マーケットは完全な売り手市場でした。

池に腹ペコのコイがたくさんいて、エサを投げるとガーーっと集まってくる、あの感じに近いです。

オークションでバイヤーたちが競り合うと、思わぬ高値がつくことも珍しくありません。

オークション当日、仕事が手につかずトイレでソワソワしながら結果を待っていると、エージェントから着信メール。

『47万ドルで落札!詳しいことはまた後ほど』

買ってから1年ちょっとで13万ドルもアップです。

勤務先の「大」用の狭いトイレ空間で渾身のガッツポーズ。

しかし喜んでばかりはいられません。

急いで次の物件を買わなければならないからです。

オークションの過熱ぶりはニュースにもなっていて、不動産売買はスピード勝負でした。

”よし、増えた手持ち資金で買えるだけ買おう!”

その年、年末までに不動産価格が安かったサウスオークランドに3つの物件を購入しました。

まとめ

購入した不動産の評価額はその後順調に値上がりし、テナントも先日追い出した一家以外は途絶えることなく入居しています。

目標としていた経済的自由は目前になってますが、ここまでたどり着くのに13年もかかりました。

何かを達成するためには、継続することでしか近づけないと改めて実感しています。

また、長い間には心身を病むことだってある。

心の底からそうなりたいと想い続けないと継続するのは難しいものです。

今もし、若い頃の僕にアドバイスができるとしたら、次のことを教えてあげたい。

経済的自由は、自分がひたすら稼いでもなれやしない。

お金を生む資産を買って、その資産に稼いでもらうことでなれるんだ、と。

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