あまり知られていないNZの歴史をわかりやすく解説【パート1】

ニュージーランドに住んでいても、この国について知らないことってたくさんあるものです。

例えば、ニュージーランドには北島と南島の2つの大きな島がありますが、そのほかに一体いくつの島があるのか。

調べてみたら、およそ600もあることがわかりました。

そういったトリビア的なことは知ってなくても良いかもしれません。

ただ、

この国がこれまでどういった歴史を辿り、そして現在につながっているのか

そのくらいはちゃんと知っておきたいと思いました。

ということで、ニュージーランドの歴史を簡単にまとめてみることにします。

かつて『鳥の楽園』だったニュージーランド

今から6500万年前に恐竜が絶滅し、哺乳類の時代になります。

ニュージーランドはすでに大陸から切り離されていて、そこに棲む哺乳類は、

コウモリとクジラだけ

海を越えて渡って来れる動物は『鳥』くらいでした。

哺乳類がいない絶海の孤島は鳥たちにとって天敵がいない安全な場所です。

しかも陸上には豊富なエサがあるという、まさに楽園でした。

飛ぶ必要性を失っていった結果、鳥の羽は退化します。

反面、太っていく体を支え、地面を動き回る(エサをとる)ための足が発達する”進化”を果たしました。

絶滅した世界最大の巨鳥『ジャイアントモア』

空を飛ぶ羽の代わりに、陸上を動き回る足を持つ鳥へと進化したことが、『人間(先住民のマオリ族)』という天敵が現れたことで裏目に出てしまいます。

マオリ族にとって格好のターゲットになったのは『ジャイアントモア』と呼ばれる巨鳥。

その大きさは、

ダチョウの1.5倍、頭部の高さは2階のベランダに相当するほど

と言われています。

体が大きい分、食料となる肉もたくさん取れるので先住民のマオリ族はモアを乱獲してしまいました。

結果的にモアは絶滅に追いやられてしまい、そのほかの飛べない鳥たちもつらい運命を辿ることになります。

例えば、ニュージーランドの国鳥『キウイバード』です。

人間が持ち込んだイタチやポッサム、または犬や猫などに卵やヒナを襲われて個体数が激減。

かつてキウイは1000万羽以上いたそうですが、現在は数万羽まで減り、保護しなければ絶滅してしまいかねない状況です。

キウイよりさらに生息数が少なく絶滅を危ぶまれているのが、

タカヘ(約300羽)やカカポ(約150羽)

一度は絶滅したと考えられていましたが、タカヘは1948年に、カカポは1970年に生き残っていることが発見されます。

現在は、キウイと同様に保護と繁殖活動が行われ、個体数は少しずつ増えているとのことです。

マオリ族は『いつ・どこから』やってきたのか

鳥の楽園に先住民のマオリ族がやってきたのは、1250年〜1300年ごろ(日本の鎌倉時代)だと考えられています。

ということは、この国に人間が住み始めてまだ700年ほどしか経っていません。

日本の縄文時代は3000年以上も前ですので、それと比べると歴史は浅いと言えます。

言い伝えによれば、

マオリ族は『ハワイキ』という太平洋の島から渡来した

とされています。

この『ハワイキ』とは現在のどのあたりになるのでしょうか。

一説によると、

マオリ族はサモアやタヒチなどポリネシア諸島にルーツを持つ民族である

とされています。

また、ハワイとのつながりも指摘されており、その裏付けとなっているのが彼らが使う『言葉』です。

マオリ語の『T』をネイティブハワイアンが使うハワイ語の『K』に変えて発音すると同じ意味になることが多いとのこと。

ハワイキという地名もハワイとよく似ていますし、信憑性がありそうです。

なお、マオリ族の間では亡くなった後の魂は先祖が住んでいたハワイキに帰ると信じられています。

ヨーロッパ人による最初のNZ発見はたまたまだった?

ヨーロッパ人が初めてニュージーランドにやってきたのは、マオリ族がこの地に住み始めてから300〜400年ほど経過した頃。

今から約380年前の1642年(日本の江戸時代初期)のことです。

オランダの探検家、アベル・タスマンが、東インド会社の航海の途中でオーストラリアのタスマニア島を発見します。

その後、彼らは北へ向かおうとしますが、それには問題がありました。

当時の船は帆船でしたので、航海は『風向き』によって大きな影響を受けます。

風が悪く北に向かえなかったタスマンは、船の進路を東に変更しました。

そうして到達したのが、

南島北端にあるファリファランギ湾

マオリ族以外の人間が初めてニュージーランドの地を踏んだ瞬間でした。

現在、この周辺地域は国立公園に指定され、人気トレッキングスポットとして世界中から観光客が訪れるようになっています。

国立公園の名は発見者からとって、

『アベルタスマン国立公園』

となりました。

余談になりますが、もしタスマンが東ではなく予定通り北へ航路を取っていたらどうなっていたでしょうか。

彼らによってオーストラリア大陸が発見されて、ひょっとしたら現在は『タスマニア大陸』と命名されていたかもしれません。

『ニュージーランド』はオランダの地名が由来

ファリファランギ湾に到達したタスマンはその地を『新たに発見した島』とは思わず、南米大陸のスターテン島の一部だと考えました。

ですので、NZにつけられた最初の名前は、

『スターテンランド』

ただ、のちにその間違いは修正されて、新たな名前がつけられます。

それが、オランダ語で、

ノヴァ・ジーランディア

英語に直すと『ニュージーランド』となります。

イギリスの植民地だったニュージーランドに、オランダの地名(ジーランド州)がついているのにはそうした背景があったのです。

最初は『1つの島』だと考えられていた

タスマンがNZを発見してから約130年後の1769年(日本は江戸時代後期)。

ヨーロッパ人として二番目にニュージーランドに到達したのが、イギリス人海洋探検家の

ジェームズ・クック(キャプテンクック)

ニュージーランド、オーストラリア、太平洋諸島の国々で知らない人はいないほど有名な偉人。

オーストラリア国歌(アドバンス・オーストラリア・フェア)の原曲は勇敢なクック船長への賛美を歌っていると言われます。

キャプテンクックはニュージーランドにも偉大な功績を遺していますが、その1つが、

ほぼ完全に近いニュージーランドの地図を作成したこと

ニュージーランドを最初に発見したタスマンは、

北島と南島の間にある海は『湾』でありNZは1つの島である

と考えていました。

しかし、キャップテンクックが6ヶ月かけて正確な海岸線図を作ったことで、

北島・南島の間は『海峡』であり、NZは大きな2つの島で構成されている

ということがわかったのです。

そしてこの海峡の名前は、『クック海峡」と名付けられています。

ヨーロッパから持ち込まれたものが与えた影響

キャプテンクックが訪れた後、NZはクジラやアザラシを捕獲するための補給地としてヨーロッパ人に利用されることになります。

さらに1830年後半になると、植民会社『ニュージーランドカンパニー』が設立。

キリスト教の宣教師をはじめヨーロッパからの入植者が増加します。

1839年にニュージーランドにいたヨーロッパ人は、およそ2000人

交易によってカウリやNZ麻の人気が出た反面、鉄の道具など、それまでこの地になかったものが持ち込まれました。

ヨーロッパから入ってきたものの中にはマオリ族を苦しめたものもあったようで、その1つが、

インフルエンザ・ハシカ・赤痢・百日咳・チフスなどの『病気』

長年、外の世界と隔絶されていたマオリ族には新たな病気に対する免疫はなく、人口が激減してしまいます。

病気よりもさらに大きな影響を与えたのが『銃』でした。

部族間同士の争いでヨーロッパから持ち込まれたマスケット銃を使用するようになり、マオリ族の死者が大幅に増えることになってしまいます。

『マスケット戦争(1807年〜1837年)』と呼ばれる争いで出たマオリの死者数は少なくとも2万人に及んだそうです。

ただ、死者数はもっと多かったとも言われ、一説には4万人に達したとも考えられています。

=======

長い文章になってしまいましたので、ここまでをパート1とし、この後の歴史はパート2へ続きます。

公立高校教師YouTuberが書いた 一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする